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雑記

Raspberry JAM in Joburg

09/16, 216日目

ヨハネスブルグからの投稿。e-Leaning Africa 2017 in Mauritius 参加のため、経由地であるヨハネスブルグに1週間滞在しようと決めたのは約3か月前。世界で一番危ない都市と目されるだけに、恐怖心の方が最初は大きかった。しかし、南アの歴史を語る上でこの都市を外すことは出来ない。現在の感想としては、トライしてみて心より良かったと思っている。

そもそも、1週間の滞在を決めたのは、とあるイベントに参加するためだった。Raspberry JAM、Raspberry Piを愛してやまないギークたちのためのイベントだ。世界中でローカルの主催者によって開催されている点は、TEDxに通ずるものがあるかもしれない。今回、そのイベントが南アで初めて開催されるということで、参加は即決だった。何より、自分の現在のプロジェクトをより多くのエンジニアに知ってもらうチャンスである。トライするエンジニアが増えれば、それだけ未来の教育の可能性を拡げられる。

会場はヨハネスブルグの中では治安の良いとされるRosebank地区。実際に目にしてみて、ケープタウンの富裕層エリアかそれ以上の佇まいだった。少し離れたところに最悪の犯罪都市があるとは到底想像できない。格差の大きさは誰もが納得するところだろう。

初開催ということで会場は思ったより人が入っていて、緊張は高まっていった。事前にプロジェクト案を提出した参加者のみが発表する形式で、一瞥してとんでもないプロジェクトを作ってきている人もすぐ分かった。それに引き換え、自分のプロジェクトは技術レベルで高いものとは言えない。発表も英語なだけに自信と元気をどんどん無くしていった。

開会式が終わり、最初のピッチが始まった。トップバッターからAI搭載の自動走行ラジコンが登場し、単なる観客目線で言えばとても興奮した。元来、電子工作が好きなのでこうしたメカには心が躍る。次はどんなプロジェクトだろうか、とワクワクしながら、発表への不安も増していった。

深層学習でルートを構築する

昼休憩をはさんで、いよいよ自分の番が迫っている時に、会場で一人の大学生と話す機会があった。彼はプログラミングの経験は無いものの、今日は興味があって来たと言う。実際、これほどRaspberry Piを始めるにあたって魅力的なイベントはないだろう。彼と話しているうちに、自分の発表の話になり、緊張していることを伝えた。ここはさすが南アフリカ人といったところかもしれないが、彼はひどく笑い出した。

「緊張している?自信がない?そんなの関係ないさ。好きでやってるんだろう?堂々と楽しんで発表しなよ!」

彼の名前がリンダだっただけに、頭の中はブルーハーツが流れ始めていたと思う。確かに、好きでこのプロジェクトを作ってきたのだ。テクニカルなものは確かにすごいが、彼らもまた自分の好きなことを追いかけた結果がそうなったに過ぎない。自分のRaspberry Piがドブネズミとまでは言わないけど、見た目の技術が全てではない。このプロジェクトには自分も願いを込めている。リンダの言葉で、気持ちはずいぶんと軽くなった。

今思えば、英語で10分にわたるプレゼンをやり切ったのは初めてかもしれない。むしろ、時間が足りないかと焦るくらいだった。使ったソフトや書いたコードの解説よりも、なぜ作ったか、どういう工夫をしたか、これからどんな未来を描いているかに重きを置いて語った。

「誰もが、自由に教育と情報にアクセスできる世界にしていきたい」
最後にこの言葉でプレゼンを締めくくった時、自分でもやっぱりそうしたいという想いを確認できた気がする。うわべの言葉ではなく、ようやく、生涯をかけて追いかけられる何かを、この手で掴んだ気がする。

伝えられるものは伝えきったという感覚があった。その後の発表はそれほど耳に入っていなかったかもしれない。自分の中で、既に形のない何かを反芻し始めていた。

各自の持ち時間などまるで無かったかのように、終了時刻は当然にオーバーし、審査発表の時間となった。大賞と準大賞が発表されるとのことだった。全く、入賞しているという期待は無かった。そして、実際にそれは叶わなかった。

大賞は、邸宅内のあらゆる電化製品をスマートウォッチから操作可能にしたプロジェクト。アイデア自体は珍しいものではないかもしれないが、実現の方法とコストが非常にスマートなものに仕上がっていた。 準大賞は、12個ものRaspberry Pi 3を使用した分散コンピューターシステム。驚くべきはその性能で、いわゆるハイエンドモデルのコンピューターの性能を凌駕していた。Raspberry Piが1つ35USDだとしても、コスト面でも圧勝である。あえて欠点を述べればスペースだけであろうか。省電力も高評価だったと思う。

配線だけでも芸術的

やはり及ばずか、と思ったところで特別賞の発表となった。特別賞も2つ。聞いていなかっただけに、会場がややどよめく。

1つはトップバッターのAIラジコンに送られた。実演でこのプロジェクトは少しトラブルがあっただけで、完成度は素晴らしいものだった。自分も彼の受賞は当然だと思った。

わざわざ司会の方が「最後の特別賞は...」と言ったところで、何となく予感はあった。

Yoshi、と自分の名前が呼ばれた時は思わず「マジで?(英語)」と口からこぼれた。自分よりも遥かにテクニカルなプロジェクトはたくさんあった。しかし、受賞の理由を審査員長から聞いたときは涙が出そうになった。

「他の人たちのプロジェクトは自分の趣味や楽しみの延長線上であったのに対して、君のプロジェクトだけは君以外の人のために作られたものだった。良いか悪いかではなく、それは大きな違いだよ。その違いの意味を考えたり、君の目標(ambition)のためにも、これからも頑張ってくれ」

人に言われるまで気づかないことは世の中にたくさんある。確かに、自分の強みはそこにあったのかもしれない。メカが好きという自分の気持ちは、誰かの役に立ちたいという想いと実はリンクしていた。誰かのためになりたい、という想いだけではいつかどこかで限界が来てしまうかもしれない。努力が報われなかったときに、認めてくれない環境を逆恨みしてしまうかもしれない。自分の好きなことの裏側に、その想いがあることに気が付いたとき、素直に、なんて幸運なのだろうと思った。Thanks Godは、こういう時のためにある言葉なんだろうか。

頂いた副賞はRaspberry Pi 3 Model Bがさらにもう一台。その他、スタッフ限定のT-Shirtなどを頂いた。このRaspberry Piを使って、さらに頑張れというメッセージとして受け取った。

興奮冷めやらないまま帰ってきて、今の気持ちをまとめたく、こうしてこの文章を書いている。Literacyには、読む技能だけでなく、書く技能も含まれる。こうして考えを整理できるのも、自分にLiteracyを身に付けられる環境があったからだ。当たり前かもしれないこの技能が、そうでない人がまだまだ世界にはたくさんいる。

Literacyが完全に普及した先にどんな未来があるかは分からない。もしかしたら、科学の発展は、細胞のアポトーシスのように終結に向かうのかもしれない。アポトーシスには生物学的な意味があるのと異なり、人類の終焉には観測者がいない以上、意味づけは出来ないだろう。でも、そんな難しいことを心配していても仕方ないと思うようになった。南アフリカの陽気さには、幾度となく助けられてきた。そして、この国に限らず、陽気さの陰にはたくさんの問題が「今」存在しているのだ。個人的には、もし発展の先に「確実に」破滅があるのなら、それは仕方ないと考える。でも、その結末を約束できる人はどこにもいない。

ならば、自分は生きている間にできることをしよう。幸い自分は、自分の好きなことを追いかけることで、その方向に進むことができるのだから。リビングストンも、ただアフリカに何かを残したいという想いだけでは、あの大冒険を達成できなかったはずだ。彼には、冒険を楽しむ心があった。それは、彼の冒険記から確かに読み取ることができる。

Ambitionを希望と訳した内村鑑三が、ハーシェルの詩に影響を受けて遺した、

「私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望」

この希望に共感することは、1つのBe Ambitiousかもしれない。自分も、このAmbitionに心から共感する。自分が今を楽しく生きられているのは、そういうことなのだ。

終わりまで残り少ない留学が、まるでこれからのほんの始まりに過ぎないような感覚を覚える。何が待っているかの不安よりも、この国の快晴の空のように、見渡す限りの青は希望のメタファーだ。留学に来られたこと、それを支えてきてくれた人々すべてに、心から今、感謝したい。順境にある時の心得を忘れず、残り少ない特別な時間を過ごしていく。

バックプリントが可愛い