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雑記

文化の作用

03/12, 28日目 Annual Japan Day by 日本領事事務所

今日はかねてからお誘いのあった在ケープタウン領事事務所(Office of Council of Japan in Capetown)主催のお祭りに参加してきた。 5th Annual Japan Day。正直会場もStellenboschというケープタウンの郊外だし、たどり着くまで規模感、内容、雰囲気など分からないことだらけだった。Facebookイベントページの参加予定819という数だけにビビりながらいざ会場の市場へ。

Stellenboschはワインの産地として有名だ。ケープタウンから車で30分もかからずこのロケーション。ちなみに国際空港はこの間にあるため、ケープタウンは都市あり、海あり山あり自然あり、交通アクセスも便利というなかなかに最高な町である。

開始の11時まで会場をぶらぶらした。配布されたプログラムによると最初は和太鼓によるオープニング。その後3ブースに分かれて文化にまつわるイベントが執り行われるとのことだった。大きくテーマ分けをすると和楽器、日本食、着物、玩具、書道、水墨画、武道、盆栽といった感じだ。トビタテ留学JAPAN(説明は割愛する)の計画にはambassador活動というのが含まれていて、日本の紹介を行いそのファンを増やすことを目指す。多くの学生は留学先で文化パーティーを開催したりするのだが、今回の日本領事事務所のレベルは日本のファンを増やすという点においてとてつもなくレベルが高かった。テーマに大きな偏りがなく、それでいて開催側の人間に必ず南アフリカの方がいたので、来場者からすればいずれかのブースに気軽に参加できたと思う。何より、日本人ではない方々の習熟度が尋常ではなく、地元のサークルで長年活動していたり、尺八の奏者の方は「首振り三年ころ八年」を地で行く人だった。(8年間自分で勉強、4年間京都にて修行)

素晴らしい奏者Brianさんと

おおよそ見て回った後の感想は「あれ?俺、ambassador活動しなくていいんじゃね?」という怠慢ではなく圧倒感。それくらい、日本領事事務所の方々の影響は大きかったと思う。明日の新聞も確認したい。

ところで、今回のイベントを通じて多くの知り合いが出来た。相手の背景を知らない状況ではなく、少なくとも「日本に関心があるだろう」という前提があるため、知らない人に話しかけるにあたって障壁が非常に少なかった。むしろ日本人が少ないこの町だからこそ、むこうから話しかけられることの方が多い。自分が文化を直接伝えられるのは篠笛、けん玉、書道、折り紙、柔道くらいだったが、歴史だけは事前にかなり仕込んでおいたので、アイヌのことも北海道のこともたくさんの人に伝えることが出来た。嬉しかったのは、日本の都市部ではなくcountrysideに興味を持っている人が多かったこと。ケープタウンは自然が身近にあることや人の温かさが何となく北海道に似ている気がする。北海道の話をすると様々な質問をしてくれ、それらを通じてケープタウンと似ている点を教えると「北海道に行きたい!」と言ってくれる人がたくさんいた。

と、ここまではまあよくある話で、「だから文化って素晴らしい!」と締めくくりたい訳ではない。今日何より自分を他の人とたった半日で劇的に仲良くさせるきっかけとなったのは、何を隠そうアニメと漫画を始めとする広義のサブカルチャーだ。「サブカルが日本の希望だ!」という論も目新しいものではないが、ここでは特にその推進を提唱する訳でもない。純粋に、文化の作用について考えてみた。

今日アニメや漫画の話題を話していて思ったのは以下の2点だ。

  • 地域を越えた共有性
  • 主流でないからこその連帯感

一点目、地域を越えた共有性。これは今日のインターネットの発達、翻訳有志およびまとめサイトの増大によって、日本のサブカルチャーが日本人の知らない所で、それも異常なスピードで浸透していっていることだ。自分もまさか先週放送された今期のアニメをケープタウンの若者が視聴しているとは思いもよらなかった。もちろん字幕だが、翻訳が儲かるとかそういう話でもない。試しに尋ねてみたところ、「好きだからじゃないの?」という回答。このアニメが好きだ、他の人にも知ってもらいたい、日本語も勉強したい、このlikeとwantの連鎖はとてつもないパワーを生み出しているのかもしれない。聞いた話では、他の言語への翻訳も一部あるそうだ。いつも使っているというサイト(むろん違法)を教えてもらったが、広告の数から判断してもとても大儲けできるものではない。動画サーバーの維持費や削除、摘発のリスクを考えても危ない橋を渡っているようにしか思えなかった。

何はともあれ、英語という多数派言語と拡大を続けるネットワークのおかげで、あらゆる国に情報は浸透していく。日本で話題の漫画もアニメもボーカロイド(札幌生まれ)も、時間差など感じさせない勢いで伝播していく。英⇒日のスピードに比べて日⇒英のスピードが明らかに速いのは映画の分野とかを見ていると明らかだ。

二点目、主流でないからこその連帯感。これはなんてことはない。今日の会場を見ていて、学生と話をしていて思ったが、「オタク」や「ギーク」というのはまだまだ少数派だ。むしろ少数派だからこその価値観かもしれない。共通の独特な価値観を共有している。これは仲間意識に当然通じるものだ。ステージでの催しの一つにコスプレがあった。それまで、会場中央のステージでは和楽器、料理、武道と来ていただけに、初のサブカル枠である。雰囲気が変わるのを見分けるのは容易だった。BGMに流れるアニソン。おそらく多くの人は知らないであろうベースとなっているキャラ。コスプレショーは明らかに大半の会場の人たちに微妙な笑みとそこはかとない行き場の無さをもたらしていた。そして、学生との会話の中で幾度か出た「オタク」というワード。明らかにネガティブなニュアンスをもって扱われているらしい。日本は今でこそポストオタク時代というか、ファッションオタクというワードが出たり、アニメ世代が人口の中心になってきていることを考えるとそのネガティブさは薄まってきている気がする。

多くの人は知らないことを、話している相手は知っていて、なおかつその話題で盛り上がる。自分も、相手が信じられないほどアニメや漫画の知識があることに感動したし、それらを知っている人たちに出会うことが出来て幸運だと感じた。相手も同じことを伝えてくれた。ここまでくれば半日の付き合いにもかかわらず同志である。

いわゆるメインカルチャーはその入門の戸は軽くない。それに比べるとサブカルチャーは手軽に楽しめるものかもしれない。それでいて上記のような特徴を持つ。しかし、作用という面においては柔道もアニメも構造は一緒だろう。柔道を知っていたからこそ、今日仲良くなれた人もいた。アニメから武道に興味を持つ人もいる時代である。特定の文化を押し付けるのではなく、興味を持った人同士が国や時間を越えて繋がる。興味を持った、という事実が繋がりの土台になる。広がっていく文化の作用が今日の自分には友人を作る機会をくれた。

文化の作用は、こと海外にいるからこそ敏感に感じられるものかもしれない。自分がambassador活動をする際にどんなことをするか、再度考えたいところである。