01/13, 128日目
2026年が始まり、早くも2週間ほどが経つ。年末年始は、いまを生きる動物たちと共に過ごしながら、雑多なことに思いを巡らせていた。
隙間ができると考え過ぎてしまうのが悪い癖だが、寄せては返す波のように、何らかの周期でまた始動できるタイミングがやってくる。ボロの2ストのようだ。
今日は個人的に2つの意味において、特別な日だ。終盤に向けての再始動という意味も込めれば、3つである。改めて、それぞれの想いに対して誠実に向き合わねばと思う次第である。
最近は、日本に戻った後にやることが具体化してきたこともあり、そちらに傾く心がある。あくまで時期の問題で、ここで成すべきことが疎かになったり、後回しにするつもりはないのだが、自分の中でのパスが組み上がってきた。
南アフリカ共和国での留学が、自分に対する納得をもたらした旅であったならば、ここニュージーランドでの学びは、行先を照らし続ける篝火を灯すための旅なのかもしれない。あの頃とはまた異なる壁に触れていく中で、そんなことを考える。
脳裏に焼き付いた、草原の朝焼けに浮かぶアカジカの親子のシルエット。同じ1月4日でも、明朝のコンクリートの上で時期外れに授乳に勤しむエゾシカ親子の姿とは、全てが異なった。
Être homme, c'est précisément être responsable. C'est connaître la honte en face d'une misère qui ne semblait pas dépendre de soi. C'est être fier d'une victoire que les camarades ont remportée. C'est sentir, en posant sa pierre, que l'on contribue à bâtir le monde.
自分勝手に、この言葉が浮かんでくる。D氏のように、動物の言葉を分かりたい気持ちと、分かっても悩みが増えそうだと、どうでもよい妄想をしながら、こちらを見つめる瞳を見返す。
牛や馬と同じく、深く澄んだ静かな瞳。実はこの世界の理を知っているのは、人間ではないように思えてしまう。