12/10, 95日目
電波の通じない山の牧場での暮らしが始まり、ほどよい疲労感の中でパソコンに触っている。一帯を仕切る牧場主の家に居候しており、スターリンクのおかげで完全な隔離状態ではない。快晴のニュージーランドでは、日没は21時ごろ、日の出は5時半頃で、日中と呼べる時間が本当に長く感じる。この数日間は山籠りで羊と鹿の放牧地を駆け回っていた。
起床は5時半。明るくなりつつある外の冷たい空気を顔に感じながら、不思議と臭くない牧野の匂いを吸い込む。手早く朝食を済ませ、一日の仕事は仔牛のミルクやりから始まる。平飼いの鶏に餌を与え、必要に応じて羊の放牧区画の変更を行い、吊り下げた熟成肉を食肉店へ。牧羊犬と共に、四輪バギーまたはオフロードバイクを繰って集牧を行い、併せてフェンスの点検と修理をする。集めた家畜に殺虫剤の投与をしてから、のんびりとしたティータイムに。気の引き締まる除角を終え、再び放牧した後に、冬に向けた薪割りや畑の手入れを行い、その時々で季節の野菜や果物を収穫する。気づけば夕方も近づき、遅めのランチを取ったり、斜陽の中で卵を回収する。素材に不足のないディナーでは、噛み締めるごとに優しい味わいと今日一日の仕事の瞬間が溢れてくる。
動物たちとは遠目に眺めていたり、フェンス越しの接触だった前半の3ヶ月。今は動物に囲まれているのが日常となった。一日を振り返っても、犬と猫への挨拶から始まり、いつまでもついてくる仔牛たち、喧しくも悪戯っぽくもない鶏たち、臆病でテンションと共に跳ね上がる羊、こちらから決して目を離さずに優雅に佇むアカシカ。日本と変わらず、好奇心旺盛でマイペースな牛たち。
来る前は当たり前に持っていた想像の光景が、今こうして現実に眼の前にある。これが畜産王国ニュージーランドだ。この天候と地形、放牧地という利用方法が圧倒的な優位性を持って、この王国の土台になっている。
現場の経験が増えてきたことで、DINZやNZDFAが出している様々なガイドラインやマニュアルの内容が、芯から理解できるようになってきた。区画の整備も、輪番放牧の仕組みも、駆虫やシアリングの手法も、全てが100年以上の合理化を経て確立されている。まだまだ前提が日本や北海道の酪農・畜産の頭だと折あるごとに気付かされる。
あえて家畜と呼ぶが、本当に愛らしい。牛と同様に羊も鹿もそれぞれに個性があり、その表情から読み取れることも増えてきた。ただ、眼の前の動物たちと向き合っている。

笑ってしまうくらい、正直なところ同じような仕組みを北海道で実現できるとは思えない。この20年前から変わらない評価も、他人ではなく自分で持てたことに価値を感じる。この未知の領域に、だからこそ心が踊る。
きっとなんとかなるだろう。しかめっ面でクソ真面目に地域の課題と向き合っていても、それこそが忌み嫌うスーツ達と同じドツボにはまる。ギークとなって、半袖短パンにジャンダル、pooまみれで鍬とスティックを持とう。すべて、最後にはつながると信じて。