Weblog


雑記

Human Rights Day

03/21, 37日目 人権の日に人権について考える

今日3月21日は南アフリカ共和国の祝日の一つ、Human Rights Dayだ。
この3月21日というのは、アパルトヘイト廃止以前から重要な日として考えられていた。1960年同日、Sharpevilleというヨハネスブルグ近郊の町で黒人差別に反対する集団が、警察の手によって銃殺される大きな事件が起こった。この集団は当時の政府が行っていた「パス法」への反対運動の最中だった。パス法とは、黒人が白人管理区に入る際に、自身が「許可された」身分であることを証明する書類の携帯を義務付けた法律のことである。不携帯は処罰の対象とされた。Shaepeville事件では、運動に参加した69人が銃殺され、180人が重傷を負った。当時の反アパルトヘイト活動家はこの日を数多くの同志を失った忘れてはならない日として、非公式ながらSharpeville Dayとした。そして、この35年後、1996年同日には南アフリカ人権委員会が新憲法のもとで設置された。人権委員会は今日も人権の実現と、国家による侵害が行われていないかを監視し、報告書の発行や提言を行っている。

ところで先日、3月17日に一連のSocial Grants Crisisに対する憲法裁判所判決が出た。結果は自分のインターン先であるBlack Sashの要望が概ね通ったものとして、市民社会からは高評価のようだ。個人情報の商用利用が完全に禁止され、新たな入札まで裁判所による監視が行われることが定められた。

判決のまとめ

もう一度今回の問題と論点を整理する。2012年に社会保障費の受給システムの開発受注を民間企業(Cash Payment Service)が5年間の契約として落札。2013年には憲法裁判所により入札にあたり不適切な点があったとして、本契約は違法と判決された。しかし、既にシステム導入後であり、社会保障費の受給は国民生活の根幹に関わるため、違法判決を保留。新たな入札の開始が行われるのを待つこととなった。しかし、本件を管轄しているSASSA(South African Social Security Agency)は新たな入札や経過報告に関して不十分な対応をとり、契約の失効する2017年3月31日、つまり今月の末が近づくにつれて世間からの注目が高まった。契約の更新か、新たな契約の締結か。この数年間で物価の高騰もあり、契約の更新の場合は追加で数百億もの費用がかかると見積もられた。当然、民間会社への支払いは税金から行われる訳で、契約に関するニュースに前後して当該企業の株価が高騰したり、出資している投資家が利己的なコメントをしたことなども相まって、世間の反発の声は熱くなっていった。ニュースでは連日のように問題が取り上げられ、ほぼすべての人々がこの問題を認知している。

株価の推移。2月28日には契約の更新が囁かれ、高騰した

SASSAと大臣の名前がトレンド入り。

それもそのはず、南アフリカ共和国では、何らかの社会保障費を受給している割合が国民全体の30%を越える。現在の人口はおよそ5500万人。1800万人という数を考慮すればいかに国全体を揺るがす問題だったか、想像に難くない。

失業率

受給者の割合

割合については上記の通りで、養育手当を受給している層が圧倒的に多い。失業率が30%近い南アフリカ共和国では、収入がない故に社会保障費に頼らざるを得ない層が大半だ。タウンシップや実際の受給者の話を聞く中で、こうしたお金がなければ生活ができないという悲痛な声を数多く聞いた。毎月初めの支給日には、銀行やATMで長蛇の列を目にする。

お金を引き出しに並ぶ人々

当然、社会保障費の捻出は国家予算からだ。先日発表された予算案でもこの項目は大きな増加を見せていた。現在の成長と支出が続いた場合、2026年までに政府予算を食い尽くしてしまうという指摘もある。税金の主な納付者である白人層からは不満の声が当然あがる。しかし、こうした社会保障費が市民生活の安定と改善に役立つという指摘もあるから問題は難しい。

社会保障のベースとなっている人権の話に一度戻すと、まず世界共通の大きな枠組みとして、世界人権宣言・国際人権規約が生存権の保障について明記している。

世界人権宣言 第3条 すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。
自由権規約 第6条 すべての人間は、生命に対する固有の権利を有する。この権利は、法律によつて保護される。何人も、 恣意的にその生命を奪われない。

日本国憲法でも第25条に生存権に関する記載があるのは周知のとおりだ。ちなみに現在、南アフリカ共和国は国際人権規約の社会権規約を署名のみしており、批准はしていない。(自由権規約は署名、批准している)

南アフリカ共和国の憲法では第11条にて生存権についての記載がある。

11. Everyone has the right to life. (すべて国民は生存の権利を有する)

今回Black Sashが憲法裁判所に提起したのも生存権を大きな根拠としている。その他には、個人情報にみだりにアクセスされない・商用利用されないといった権利も主張された。憲法裁判所については既に触れたが、この一連の出来事を目の当たりにして、そのダイナミズムに驚かされた。Affidavitの提出から判決までおよそ2週間。今回の判決は社会のニーズに応えるスピード感を感じた。何より、市民団体の提起によって実際の社会が大きく動いた例となった。今回インターン生として見ていて感じたことは他にもある。それは、運動の中核をテクノロジーが担い始めているという点だ。従来のヒアリングだけでは、ある社会の実態をつかむのには時間を要する。しかし、各地に散らばる活動団体がネットワークによってその情報を共有したらどうなるか。問題の事例はさらに拡散され、より多くの人が他人事ではいられなくなる。今日、間違いなく活動家たちの動きを加速させているのは通信技術の発達だ。従来では難しかった連携と発信をいとも簡単に行うことができるようになっている。チュニジアでのジャスミン革命、それを契機としたアラブの春の教訓はもはや特殊なものではなくなっている。もちろん、フェイクニュースといった新たに考慮すべき問題も発生してきているが(規制の法案が検討中)、この技術の力は確かに市民側にとっての大きな武器だ。

Sharpeville事件があった当時は、集会の自由だけでなく言論の自由も大きく規制されていた。今日のようなやり方は、当時の人々からすれば想像もつかなかったであろう。しかし、活動の本質は変わっていないと考える。権利は与えられるものではなく、闘って得るもの。その適切な方法を考えることはとても重要だが、イェーリングの主張を彷彿させる「闘争」を今回は目の当たりにした。今回、南アフリカ共和国の市民社会は、正しいやり方で権利を実現したと考える。暴力に訴えるのではなく、法律に基づいて、淡々と、厳粛に抗議と手続きを進める。彼らは、過激な主張がかえって自分たちの立場を危うくすることを知っているようだ。野党第一党のDemocratic Allianceは判決を「民主主義の勝利」と称した。数多くの課題を抱えるこの国でも、政府と政治を市民から変えていく機会は増えている。今回の一件はそうした意見の表明の大きな後押しになるだろう。持っていることが当然と考えられている以上、権利のために闘うことは、市民の国家・社会に対する義務であることを示唆している。人権の本質かもしれないこの要素を、引き続きこの社会の中で見ていきたい。